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■はるこのときドキ!日記

4月18日 心温まる和歌山の史実(その1)

全国47都道府県が選挙区であり、日々出張を重ねている私にとって、和歌山県は今まで最も「手掛かり」がつかめず、仕事や地盤が作れずにいた地域でありました。そんな中で数年来活動をともにし、志を同じくしている尾ア太郎和歌山県議会議員の推薦により、本日、日本会議和歌山女性の会 設立一周年記念大会で講演させていただきました。

私は「日本の智恵や心を政策に活かし、いい国づくりをみんなで心がけていこう」という思いを常に持っています。このような理念を共有し、手弁当で主体的に活動されている日本会議和歌山の皆さんに会える、またとない機会です。大事な講演を担当する以上は、良い1時間を創れるようベストを尽くさねばなりません。和歌山について事前リサーチをかけ、受験生に劣らぬ集中力で猛勉強し(!?)、改めて地元の皆様にご紹介したのが、次の史実二話です。

第一話は、かつての国定・小学校国語教科書にも掲載されていた、和歌山での実話に基づく「稲むらの火」という物語です(写真)。安政元年(1854)の安政南海地震の際、間もなく津波が来ることを予感した庄屋の五平衛は、迫りくる危機を村人たちに知らせようと、刈り取ったばかりの高台の稲の束全てに火を放ちました。火事だと思って高台に駆け上った村人たちの眼下で、津波は海辺の村集落を飲み込んでいきました。おぞましい津波の被害を目の当たりにして我に返った村人達は、自身の大切な財産全てを焼き払ってでも、必死に村人全員の命を救おうとした五平衛の意図に気付き、五平衛の公徳心に感謝し後々までたたえた・・・という話です。この「稲むらの火」は現在、津波を警戒する防災教材として活用されています。

第二話は「エルトゥールル号遭難事件」。明治23年(1890)、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で台風により座礁・沈没し、587名が死亡・行方不明となる大惨事となった際、生存者が流れ着いた大島村(現在の串本町)の住民たちは、自らの危険も省みず総出で救助に向かいました。69名の生存者たちは回復後、日本海軍の船によりオスマン帝国へ送り届けられ、以来、トルコの人々が親日の情を抱く大きな原動力になったと言われています。しかし、この事実は日本ではあまり大きく取り上げられることもなく、一部の間で語り継がれるだけでした。

この事実が再び脚光を浴びたのは、昭和60年(1985)のイラン・イラク戦争の時でした。イラン国内に取り残された日本人の窮状を知った在イラン・トルコ大使は「トルコ人なら誰もがエルトゥールル号遭難の際にトルコ人が日本人から受けた恩義を知っています」と、取り残されていた日本人215名全員を、危機迫るイランからトルコ航空機によって脱出させ、トルコ経由での日本無事帰還に導きました。日本人が人間として、温かい情を発揮したエルトゥールル号遭難事件から、実に95年後、今度は逆にトルコの決断によって、在外邦人の命の安全が確保されたのです。(長くなりますので後編は、4月19日の日記にてご報告します)

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